現代美術とAfrican Xylophone

 

実は、私は1995年頃まで現代美術至上主義であった。19歳の頃より、画家菅沼順一氏に師事して10年以上に渡りデッサンを学び、以後、絵画とともに存在と美を探求してきた。

その中で、1993年頃までの数回の個展で、テーマとして植物や有機体のバリエーションや、喋りの呪文やフォルムを扱った作品を発表した。

しかし、必然的に、その空間と形体の、有機的でポエジーな追求と興味は、ついに音の抽象性へと移っていった。

あるとき風の中風景を見つめていて突然私は気がついたのだ、すべてのものが聴覚の感覚から見えてくる奇妙な感覚であった。つまり見つめるものが、無音の静けさとなっていることに気づいたのだ。

これが私を、絵画作品やドローイングから、音の世界に没入させたていった大きな動機の一つとなった。

もう一つ、ピカソの作品「アビニョンの娘たち」のあの存在を見つめる眼差しがアフリカの仮面に由来していたことが、私をアフリカの精霊へと自然に導いた。

1995年以降、ガーナの音楽をガーナミュージシャンから習い始め、1998年佐渡でパンロゴドラマー、アジャ・アディの演奏を目の前で見たのを契機にパンロゴアンサンブルとコーラスに打ち込んだ。

同時にカクラバの高弟ソーイチマ・後藤と知り合い、アフリカンザイロフォンの世界に引き込まれていった。

その単純だが奥の深いポリリズムに魂は傾倒したが表現としてはうまく行くわけがない。

音楽というものは残酷である、楽器を習得する上で、どのように努力しようが早道というものはないのである。

表現として使えるようになるまでの一からの出直し、ついに2009年末、ようやくインスピレーションを実現すべくインプロビゼーションの活動を始めたのである。

私にとっては1995年からの長い曲がりくねった近道であった‥。