コギリの仏頂面というのも、見る方としては面白いものだ。

ところで、何かを意識が探ると、この様な顔つきになるのだと思う。
要するに、内部にセンサーが働いている状態であるのは間違いがない。
仏頂面が悪いわけではない。
しかし、それは何か判断してから動いていることになる。
こうなると瞬時に音として出したい私としては引っかかるところがある。

この状態を脱却するには、センサーモードを断ち切ることである。
しかし、断ち切るものは何なのか、問題はそこである。
たとえば、車の運転をするとき、どこかに意識を集中させすぎると、全体が見えずに危険な状態となる。

自分の出した音をあまりにも集中して聞き入りすぎているのではあるまいか?だとすれば、これは、聞かずにいるというしかない。このとき確かに音に集中すると仏頂面となる。なんと自分の出した音は聞いていてはダメだということだ。

仏頂面でも、聞くと見るとでは顔に違いがある。見る方の仏頂面の方はなんとなく仏顔と呼べなくもない。
音を観ることが、ここでは仏頂面を完成に向かわせる大切な要素かもしれない。

ありゃ、これは観音ですな。