01
Feb
2010
17
Jan
2010
楽器と気温の関係だが、冬に野外は勿論だが、部屋の温度が低い場所でコギリなどを演奏するときには、手を傷めないように注意がいります。
私は、ごく最近、こ一時間叩いたりするとき防寒用のウオーマーを使用している。
始終手を振り続けるのと変わりないわけであるから、すっかり冷たくなって、先日ついに腱を傷めてしまった。というわけです。
足のつま先も、鍵盤によって常に扇がれているので、そのまま素足などでいるとすっかり足先まで冷たくなってしまう。これで、防寒靴下などがあるとだいぶちがう。
ということは、夏場にはけっこう涼しいのかもしれませんがね。
13
Dec
2009
コギリの仏頂面というのも、見る方としては面白いものだ。
ところで、何かを意識が探ると、この様な顔つきになるのだと思う。
要するに、内部にセンサーが働いている状態であるのは間違いがない。
仏頂面が悪いわけではない。
しかし、それは何か判断してから動いていることになる。
こうなると瞬時に音として出したい私としては引っかかるところがある。
この状態を脱却するには、センサーモードを断ち切ることである。
しかし、断ち切るものは何なのか、問題はそこである。
たとえば、車の運転をするとき、どこかに意識を集中させすぎると、全体が見えずに危険な状態となる。
自分の出した音をあまりにも集中して聞き入りすぎているのではあるまいか?だとすれば、これは、聞かずにいるというしかない。このとき確かに音に集中すると仏頂面となる。なんと自分の出した音は聞いていてはダメだということだ。
仏頂面でも、聞くと見るとでは顔に違いがある。見る方の仏頂面の方はなんとなく仏顔と呼べなくもない。
音を観ることが、ここでは仏頂面を完成に向かわせる大切な要素かもしれない。
ありゃ、これは観音ですな。
ところで、何かを意識が探ると、この様な顔つきになるのだと思う。
要するに、内部にセンサーが働いている状態であるのは間違いがない。
仏頂面が悪いわけではない。
しかし、それは何か判断してから動いていることになる。
こうなると瞬時に音として出したい私としては引っかかるところがある。
この状態を脱却するには、センサーモードを断ち切ることである。
しかし、断ち切るものは何なのか、問題はそこである。
たとえば、車の運転をするとき、どこかに意識を集中させすぎると、全体が見えずに危険な状態となる。
自分の出した音をあまりにも集中して聞き入りすぎているのではあるまいか?だとすれば、これは、聞かずにいるというしかない。このとき確かに音に集中すると仏頂面となる。なんと自分の出した音は聞いていてはダメだということだ。
仏頂面でも、聞くと見るとでは顔に違いがある。見る方の仏頂面の方はなんとなく仏顔と呼べなくもない。
音を観ることが、ここでは仏頂面を完成に向かわせる大切な要素かもしれない。
ありゃ、これは観音ですな。
06
Dec
2009
コギリをたたいていると、知らぬ間に凄い顔になっているのがビデオに撮ると分かる。(今、ここに載っている。)
いわゆるしかめっ面とか、仏頂面とかいう無愛想な面となってしまうのである。笑いながらとまではいかないまでも、もう少し、どうにかならないのかと、自分でも思っていた。
しかし、見慣れてくると、これもまた、これでいいのかもしれないと思うようになった。
何も、愛想を振り撒く必要も無い。
いいもわるいも、内面の状態がそのままに出ているのであるから仕方がないのだ。
何がそんな顔にさせているのかは、自分で心当たりはまったく無い。
そう思うようになってから、おかしなもので、ここにきて、同じ仏頂面でもだんだんと変わってきつつある。おかしなものである。
とにかく自分の考えのごときなどに、思うようにはならないのがコギリなのだ‥。
29
Nov
2009
アルミフレームの上にいよいよ鍵盤が乗った。
巨大ザイロフォンの試しびきである。低音の伸びはバラフォンにくらべてよく伸びている。
これはアフリカだ!
これは気持ちが良い。いろいろ構造的に工夫した甲斐があったというものだ。
広がるディープな空間は、プレーヤーの表現の可能性を一段と広げてくれることは間違いないだろう。
なんといっても、フレームをアルミパイプにした効果がはっきり出た。鍵盤をコギリ形式の吊り下げにすると、全体に大きなテンションがフレーム自体に掛かるのだが、ビクともしないでいる。
音質の点でも優秀だ。がさがさ音はほとんど感じられない。
ビーターは特製のコギリのソフトなアタック音の少ないスーパーアルミビーターを使用して叩いてもベストマッチングである。
大型のコギリであるギルモアよりもまだ大きいが、それとはまた一味違う、なにか不思議な味わいが出たザイロフォンが出来た。
音色からか、湧き上がるような水のイメージがしてくる。
私自身もう少し試びきして、楽しみたい感じである。
23
Nov
2009
今、アルミフレームの巨大バラフォンを製作中である。
現在、フレームが組みあがったばかりだ。
アルミは軽く丈夫で音が良い。
それに見かけはじつにモダンな感じになる。
これが、なかなか一筋縄ではないのである。
ふつう、バラフォンはコギリと違って、鍵盤がフレームの上に直接乗せられた状態にある。コギリと似た楽器であるが、これをカバーする意味でもバラフォンはトレモロ奏法などがコギリより発達していると思う。
これに加味すること、低音の伸びを良くしようとコギリ方式にして鍵盤を吊ってみようという試みである。
このバラフォンはバラフォニストでプロドラマーのT・N氏の依頼であるが、おもしろい試みである。はたしてどのようにサウンドは変化するのだろう?アルミフレームはコギリで実験済みなので、ある程度の予測はできているが、低音部のディストーションがコギリのようにかなり強烈になるかどうかだろうか?
T・N氏曰く、「低音が出ないと人生半分損しちまうからねえ。」
‥たしかに!
15
Nov
2009
癒しとしてのコギリ
ソファに寄りかかったまま、このコギリを聞いていると、いつの間にか眠ってしまってることがあります。
深い瞑想状態に得られるリラックス感と同等の癒しが、気づかぬうちに訪れています。
ヒーリング、メディテーション、のミュージックというジャンルがありますが、まさにコギリには自然にその効用があるようです。
USAの臨床医の資格を持ち、カクラバの古くからの弟子でも有るバレリー・ナランジョ(Valerie Dee Naranjo)さんは、コギリの響きは、人や植物生体内の水の分子に直接共鳴作用するとも言ってます。
私は意識的にそのような演奏をしている訳ではありませんが、確かにコギリというのは自然な大いなる安息感をもたらします。
音の揺らぎや僅かにずれてビートする左右のリズムが、結果的に癒しの効果を与えているものかも知れません。
しかしそれ以上に、根源世界をそのまま垣間見させる能力が、安堵と希望と癒しを与えているのだと思います。
それらを含め、コギリの可能性は音楽だけには留まりません、
アフリカの深い知恵は、現代の人々にこそ必要なものかもしれません。
(THE FIRST XYLOPHONEライナーより)
12
Nov
2009
「オーガニックファームみたか村収穫祭」キャンドルナイト&ライブ&トーク
11月14日(土)17時~21時30分
ライブエリアでザイロフォンの演奏します。
チャンシー、naoko,&shin
(コギリ、ボギリ、パンロゴ)
20分ぐらい
場所 三鷹オーガニック農園(金子農園)入園無料
三鷹市上連雀9-6
ライブエリア・1000円(オーガニックドリンク1杯つき)高校生以下無料
雨天決行
問い合わせtel 0422-45-1230
三鷹のやさい村などが毎年行っているイベントが、大きく三鷹オーガニックムーブメントとなったようです。
」
12
Nov
2009
CD3枚同時に発表しました。
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Healing Of Xylophone ライナーノート
チャンシーの3枚目のアルバムになる「Healing Of Xylophone」は、前回のアルバム「Talking Xylophone」にも増して意欲的な内容である。
コギリの持つ「癒し」をアルバム化したものとなった。
コギリはその音だけでもなぜか心が癒される響きを持っている。
その習得が難しいとされるコギリの真髄は、この「癒し」に有るかもしれない。
もともときまった曲を弾くということの他に、その場に降りる霊感によりインプロビゼーションを展開できるのがコギリである。
ガーナで葬式と深い関係にあるコギリの演奏は、時としてそのまま「喋り」の声として聞こえてくることがある。
ある意味呪術的な面を持つものであるが、インプロビゼーションのおもしろさは、そのようなリアル感に支えられているのではないだろうか。
5曲目「メスーゼラ」と6曲目「さよならNOMMO」は、2005~2008年にパンロゴXのHPリトアク通信に連載されたチャンシーの小説「天頂の惑星」からのインプロビゼーションである。
チャンシーの物語のもつ即興的な面と相まって、そのインプロビゼーションと渾然一体と化したチャンシーワールドは、他に類を見ないおもしろさを与えてくれる。
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Healing Of Xylophone
http://www.hyotan-ya.com/shop/index.php?main_page=product_info&cPath=28&products_id=100
11
Nov
2009
Talking Xylophone ライナーノート
物語とコギリ
アフリカンザイロフォンコギリと、独自の取り組みをしているチャンシーの2枚目のアルバム「Talking Xylophone」は、彼の「数奇のパンロゴ物語」という小説と関係が深い。ここに収められている曲目はすべてこの物語のインプロビゼーションである。
この小説は、チャンシーが2001年~2005年にパンロゴクラブHP、リトアク通信に、異色パンロゴ小説として書き下ろし連載したものである。
物語は西アフリカの村から始まる。主人公のココレレとサンコニャという行き別れた双子の兄弟、太鼓のパンロゴを中心に、海賊のマスター・オブレンテ、タコのスケハチなどのキャラクター達がにぎやかに登場し、他に類を見ない場当たり的おもしろさを持つ説話的小説とでも呼ぶべきもので、現在でもパンロゴXのHPで読むことができる。
http://homepage1.nifty.com/kpanlogo/suuki/rensai.html
ところで、タイトルの「Talking Xylophone」とは、もともとコギリが物語に使われることからきている。
そのものずばり、コギリは人が喋っているように聞こえることもしばしばある。
物語の愉しみは広くアフリカに存在しており、子供から年寄りまで人々の大いなる心の癒しとなっている。
しかもそれは、場当たり的な当意即妙の即興性で成り立っているのである。
現実と物語と音の世界が、切り離されることなく存在するなつかしい世界だ。
音楽的な側面だけでなく、ザイロフォンの持つこのアフリカのライブ感ある説話的な世界をここに共有できることは、文化の違いを超えてコギリの可能性を大きく広げることになるだろう。
コギリの説話的インプロビゼーションが、物語の光景を目の前に立ち現れさせるおもしろさは誰の心もわくわくさせるものである。できるなら、焚き火を前にして夜が更けるのも忘れて聴いてみたいものだ。
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Talking Xylophone
http://www.hyotan-ya.com/shop/index.php?main_page=product_info&cPath=28&products_id=101