久しぶりバラフォンのライブソロ演奏をしました。
バラフォンによる東洋的なインプロビゼーションです。
コギリとはまた一味ちがう、何かなつかしい‥。
コギリクラブにインプロビゼーションのせました。

楽器と気温の関係だが、冬に野外は勿論だが、部屋の温度が低い場所でコギリなどを演奏するときには、手を傷めないように注意がいります。
私は、ごく最近、こ一時間叩いたりするとき防寒用のウオーマーを使用している。
始終手を振り続けるのと変わりないわけであるから、すっかり冷たくなって、先日ついに腱を傷めてしまった。というわけです。

足のつま先も、鍵盤によって常に扇がれているので、そのまま素足などでいるとすっかり足先まで冷たくなってしまう。これで、防寒靴下などがあるとだいぶちがう。
ということは、夏場にはけっこう涼しいのかもしれませんがね。


ストアに出ました。このウィジットからもitunesに直接飛べますよ。
コギリの仏頂面というのも、見る方としては面白いものだ。

ところで、何かを意識が探ると、この様な顔つきになるのだと思う。
要するに、内部にセンサーが働いている状態であるのは間違いがない。
仏頂面が悪いわけではない。
しかし、それは何か判断してから動いていることになる。
こうなると瞬時に音として出したい私としては引っかかるところがある。

この状態を脱却するには、センサーモードを断ち切ることである。
しかし、断ち切るものは何なのか、問題はそこである。
たとえば、車の運転をするとき、どこかに意識を集中させすぎると、全体が見えずに危険な状態となる。

自分の出した音をあまりにも集中して聞き入りすぎているのではあるまいか?だとすれば、これは、聞かずにいるというしかない。このとき確かに音に集中すると仏頂面となる。なんと自分の出した音は聞いていてはダメだということだ。

仏頂面でも、聞くと見るとでは顔に違いがある。見る方の仏頂面の方はなんとなく仏顔と呼べなくもない。
音を観ることが、ここでは仏頂面を完成に向かわせる大切な要素かもしれない。

ありゃ、これは観音ですな。
いよいよ念願のパブリッシングが始まった。
「数奇なパンロゴ物語 序章 ココレレとサンコニャ」を皮切りに、章ごとの自家出版の形式だが、まずは形に出来てそれでも感激である。

ほとんどHPに連載したものが原型であるが、最終的に作品としての編集と仕上げをした。書き出しも古いもので、文章もおぼつかないままだが、そのままにしてある。
アフリカが、私にやって来た、自ずからやって来た当時のままの雰囲気が大切だと思えたからだ。
当初のへぼな文章は勘弁してもらうとして、アフリカをやる上で、何かの寓意が感じられた瞬間がそこにあると思えるのである。

「数奇なパンロゴ物語」は荒唐無稽の説話的な話だが、章を追うごとだんだんと面白くなることをうけあいます。






コギリをたたいていると、知らぬ間に凄い顔になっているのがビデオに撮ると分かる。(今、ここに載っている。)
いわゆるしかめっ面とか、仏頂面とかいう無愛想な面となってしまうのである。笑いながらとまではいかないまでも、もう少し、どうにかならないのかと、自分でも思っていた。

しかし、見慣れてくると、これもまた、これでいいのかもしれないと思うようになった。
何も、愛想を振り撒く必要も無い。
いいもわるいも、内面の状態がそのままに出ているのであるから仕方がないのだ。
何がそんな顔にさせているのかは、自分で心当たりはまったく無い。

そう思うようになってから、おかしなもので、ここにきて、同じ仏頂面でもだんだんと変わってきつつある。おかしなものである。

とにかく自分の考えのごときなどに、思うようにはならないのがコギリなのだ‥。


アルミフレームの上にいよいよ鍵盤が乗った。
巨大ザイロフォンの試しびきである。低音の伸びはバラフォンにくらべてよく伸びている。

これはアフリカだ!
これは気持ちが良い。いろいろ構造的に工夫した甲斐があったというものだ。
広がるディープな空間は、プレーヤーの表現の可能性を一段と広げてくれることは間違いないだろう。

なんといっても、フレームをアルミパイプにした効果がはっきり出た。鍵盤をコギリ形式の吊り下げにすると、全体に大きなテンションがフレーム自体に掛かるのだが、ビクともしないでいる。
音質の点でも優秀だ。がさがさ音はほとんど感じられない。
ビーターは特製のコギリのソフトなアタック音の少ないスーパーアルミビーターを使用して叩いてもベストマッチングである。
大型のコギリであるギルモアよりもまだ大きいが、それとはまた一味違う、なにか不思議な味わいが出たザイロフォンが出来た。

音色からか、湧き上がるような水のイメージがしてくる。
私自身もう少し試びきして、楽しみたい感じである。

顔から油が出た。若い頃は油状で半透明のクリーム色のものが、しぼるとニュルリと押し出てきた。これが「あぶら」である。

気持ち悪いお話で恐縮だが、最近では、そうそう出なくなった。
しかし、数年を掛けて育ち、ほっぺたにある小さな黒子のようなものがだんだん色も濃くなり、ついには窮まって真っ黒けになる。こうなってくるともう放っておけない。
いよいよ家人がてぐすねひいて搾りに掛かるのである。

しかし、先の表層の部分が黒色化して硬くなる分容易に押し出てこなくなるのだ。つまり、しぼると物凄く痛い。
油をしぼられるという言葉があるが、この事かもしれないと思えてくる。(泣)
誕生日を前にして心機一転という訳だ。

でたでた!おっとろしい!こんなものがと思えるほどのものが顔を出してきたのである。痛さも忘れて、記念写真を撮らせた!
まったく数年間の厄をすべてしぼりだした感じである。こんなことだが妙にすっきりとするものである。
二箇所を死ぬ思いでしぼられて、厄は根こそぎ払われたのである。
合掌。スッキリ!!

今、アルミフレームの巨大バラフォンを製作中である。
現在、フレームが組みあがったばかりだ。
アルミは軽く丈夫で音が良い。
それに見かけはじつにモダンな感じになる。

これが、なかなか一筋縄ではないのである。
ふつう、バラフォンはコギリと違って、鍵盤がフレームの上に直接乗せられた状態にある。コギリと似た楽器であるが、これをカバーする意味でもバラフォンはトレモロ奏法などがコギリより発達していると思う。

これに加味すること、低音の伸びを良くしようとコギリ方式にして鍵盤を吊ってみようという試みである。
このバラフォンはバラフォニストでプロドラマーのT・N氏の依頼であるが、おもしろい試みである。はたしてどのようにサウンドは変化するのだろう?アルミフレームはコギリで実験済みなので、ある程度の予測はできているが、低音部のディストーションがコギリのようにかなり強烈になるかどうかだろうか?

T・N氏曰く、「低音が出ないと人生半分損しちまうからねえ。」
‥たしかに!

やるやるといいつつまだ皆目手が付かないでいることがある。
やりたい気持ちが出ると思うと出てこないのだ。

なんとなくはある。
植物の話を考えているのだがまだまとまらない。
いや、連載を中途にしている小説「ネダイエレナ ミリンナボン」の第二部だ。
いやいや、第三部になるか、ならぬかも分からぬ状態だが。
漠然としたものはそこまでやってきているのだが‥。

一本の木にしろ、
植物ほど身近だがよく分からぬものも無いものだ。そもそも植物などという分類もまったくおかしなものだと思っているのであるのだが‥。
もっとも、私の荒唐無稽なアプローチでの話である。